熊野古道を歩く

熊野古道

古代の人々が聖地・熊野へ詣でるため、さまざまな願や憧れを抱いて歩んだ熊野古道。
数々の石仏や伝説を秘めた史跡をたどれば、忘れかけていたやすらぎと温もりを感じます。
微かに香る森の息吹とそよ風を受けながら、幻想の世界が誘う道をたどってみませんか。

祈りの道 熊野古道

神々の棲む国といわれる熊野。
日高町の北東を走る「熊野古道」は、京の都と熊野 を結ぶかつての巡礼の道です。
この道を行く「熊野詣」は、現世とは異なる地と考えられた熊野に、浄土を求めた皇族、貴族らによって平安期に始まり、やがてその信仰は庶民にまで及び、途絶えることなく続く参詣者の列は”蟻の熊野詣“と形容されました。

苔むした古道を歩けば、いたる所で出会う往時の史跡、遺跡の数々。かつて参詣者たちがしばしの休息をとった「九十九王子社」跡、路傍にひっそりとたたずむ石仏や石碑群、そして道行く人々をじっと見つめてきた巨木たち。いにしえの古道には、数え切れないほどの巡礼者たちによって踏みしめられ、形となった歴史と信仰が息づいています。

「熊野詣」のメインルートとなった道が紀伊路、日高町の東北部を走る「熊野街道」でした。
まず、京都の鳥羽から舟で淀川を下って大坂まで行き、そこからは陸路で泉州を通って紀伊国に入ります。そして湯浅よりほぼ現在の国道42号線沿いに南下し、鹿ヶ瀬峠を越えて本町に入り、沓掛王子、馬留王子、内ノ畑王子、高家王子を経て、田辺へ。そこから先は山間の中辺路を通って、「熊野本宮大社」に参拝。熊野川を舟で下って新宮の「熊野速玉大社」、那智山の「熊野那智大社」を巡り、再び本宮に戻って、それから帰途につくというコースです。
一方で、険しい山道を避けて、本町比井や津久野の浦に上陸する海の道もありました。京都から熊野三山を巡り、帰途につくこの「熊野詣」の行程は往復約600キロメートルと考えられています。人々はこの長く険しい道のりを聖地への憧れと、さまざまな祈り、願いを胸に抱きながら、およそ20日から1ヶ月かけて往復したといわれています。
そんな往時の様をほうふつとさせる風情がそこかしこに息づく熊野古道。道沿いの自然は、季節ごとにいろんな表情を見せてくれます。雨も多く、温暖なこの地方は生息する動植物が多彩なことで知られます。
海辺、山間を問わず、咲き誇る色とりどりの四季の花々、たわわになった果実や木々の実、さらには鳥たちのさえずり…こうした自然との出会いは、厳しいしい道中を行く人々にとって、心なごむひとときだったに違いありません。

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【内原王子神社(高家王子跡)】

熊野三山を遙拝する「熊野九十九王子」の一つで、古くは高家王子と称していました。皇族の熊野詣の際には、宿泊所や休憩所としても使われたといわれ、熊野信仰を知る上で貴重なことから、県の史跡にも指定されています。

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現在、小峠から金魚茶屋に至る沿道には、公園、休憩所、トイレ等が整備され、周辺の黒竹林の景観とあいまって独特の風情をかもしだし、絶好のハイキングコースとなっています。

【金魚茶屋跡】

熊野三山に詣でる旅人の旅情を慰めるため、茶屋のそばの清流で金魚を飼っていたという言い伝えがあり、今も江戸時代の宿場の面影を残しています。

【板碑】

鹿ヶ瀬峠のふもとの法華堂跡のそばに8基並んでおり、永享8年(1436)、嘉吉(1442)といった室町時代の年号の入ったものもあり、日高地方では最も古い板碑です。

【水滝】

滝の側に不動明王を祀り、修行の場としても知られています。どんな日照りの年にも、水が涸れたことがないといわれ、四季を通じて様々な自然美を見せてくれます。
和歌山県の名水百選の一つ

【沓掛王子跡】

昔、牛馬の蹄を保護するために藁でつくった沓(靴)をはかせていました。ここで、人も牛馬も新しい沓にはきかえて厳しい峠越えに備えたのでしょう。かつては、峠下の王子谷に祀られていました。

【馬留王子跡】

峠越えに備えて、馬に飼い葉をあたえたり休息させたことから、その名がついたと考えられています。

【内ノ畑王子跡】

「熊野九十九王子」の一つで、一名を槌王子ともいいます。

熊野古道周辺マップ

熊野古道周辺マップ

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